自分なりの決断。

2001年3月28日
明日は東急エージェンシーのES締め切りの日。

てなわけで、翌朝10時郵便で送るためにまた夕方郵便局に行っていた。
その帰り、カフェによって軽く夕食を。
そんで食べていたら、携帯にTEL。
着信表示は兄からのものだった。が、出たのは甥。「おねーちゃーん、いつ帰ってくるの?」まだたどたどしい言葉を話す甥は3歳。私はこの言葉に弱い。
その後、兄が出る。結局実家に帰らなかった私にいつ帰ってくるのか聞くためだ。

兄が結婚した時、悲しくはなかったけど、少しだけ複雑な思いがした。でも兄の奥さんはとってもいい人で、私に良くしてくれる。甥が生まれる前は、よく3人で出かけた。そして甥が生まれて、兄が父親の顔を見せるようになって、「あー私はずっとは一緒にいられないんだな」って思った。今は実質一緒にいない。兄は実家の近くに住んでるが同じ家には住んでいない。それに今私は一人暮らし・・・
だから早く自立しなきゃって思ったのかもしれない。私のほうがこのことを意識しすぎた。
でも、電話口で「早く帰って来い」って言われた時はうれしかった。甘えられる時は甘えてやろうと思った。

最近夜中じゅう起きてるから、考える事はよくある。そこで出した決断、マスコミだけを思いっきりやって、全滅したら実家に帰ってひたすら教職を目指すということ。理想論かもしれないけど、好きな事をしたいから。他の業種は受けないつもり。

私には昔から、やりたいことが2つあった。
学校の先生と、放送局のスタッフ。とにかくチームで何か1つのことをする事が好きだった。人が好きだった。クサイけど、体育祭やクラスマッチでわいわいやったり、卒業式で泣いたりしたかった。学校の先生の方が先に夢だった。その後、放送委員会に入って番組を作ってその時に画面の切り替えをする、スイッチャーという仕事をした時に魅力を感じてからやりたいと思うようになった。
しかし、最近の少子化で先生はいらない。まぁとにかく免許だけは取っとこう、いや免許をとるために浪人してまで大学に来た。何があるか分からないから。
大学に入ってからは、マスコミの方が強くなった。でもスイッチャーとか音声は技術系の学部を卒業していないとなれないってことで、ひたすらディレクターを目指した。
色んな番組の企画を出した。でも他のマスコミ業界でもできるだけ制作を志望している。

人が好きで、チームが好きで、みんなで何か1つのことをやりとげることに魅力を感じた。高校の時も、裏方として行事の企画・運営をしていた。忙しかったけど好きだったなぁ、行事が終わった後の達成感って。でもなぁこれだけ色々言ってても面接は通らないからなぁ。組織の中の調停役みたいなもんなんだけど、それって偽善者なのかなぁ。よくわからん。私は争いごとを回避しようとしたかったから。

てなわけで、マスコミの色々な業界をひたすら頑張る事にした。頑張って頑張って全滅したら、その時は教職を何年かかっても目指す。免許も取れることだし。就職が決まらなくても卒業はする。宣言したし。いたんだ、就職が決まらなくてあえて卒論書かなくて留年してまた挑戦する人。まぁ新卒をいっぱい取るから仕方ないのかな。私の場合は1浪してるから、もう卒論だけのために授業料は払ってもらえない。ていうか私も卒業したいし。

まぁ親にはまだこの気持ちを言ってないけど、
教職のこともマスコミのこともわかってくれてるから、基本的には応援してくれると思う。
だからもう小さな制作会社からテレビ局、新聞社、出版社、広告、レコード会社、プロダクション、映画・・・暴れまわってやろうと思っている。まぁできる範囲で。でないとお金が続かない(笑)しかし、結果も厳しいのが返ってきたり、ダメだと思ってたら受かってたりするから頑張ってみよう。もし1つでも受かったらそっちに行く。

さ、たまってるES書かなきゃ。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索